「千秋庵」の看板銘菓。やさしい味の洋風ミルクせんべいで、スキー板を履いた熊が鮭を背負った姿がレリーフになっている。道産子(道民)が山おやじといえば、北海道に生息する羆(ひぐま)の愛称なのだが、その名をずばり“山親爺”せんべいとして発売したのは、1930年のこと。水を一滴も使わない高級せんべいとして、またたく間に札幌市民の評判になった。バター、ミルク、卵のやさしい風味が口いっぱいに広がる、代表的な土産品だ。
山親爺(やまおやじ)は、北海道の製菓業者である函館市の千秋庵総本家と、札幌市の札幌千秋庵製菓が販売している美味しいお菓子です。これは、バターや牛乳などの材料を使って作られた洋風の煎餅で、1930年に初めて発売され、今でも北海道で愛され続けているロングセラー商品です。
山親爺の誕生には興味深い経緯があります。千秋庵は昭和初期に、札幌の本店を大改築し、1階がお菓子の販売場、2階が当時珍しかった喫茶店となったと言われています。その改築を記念して、1930年に山親爺が誕生しました。このアイデアの元祖は、千秋庵の4代目店主である松田咲太郎で、彼は東京から招かれて千秋庵の銘菓を考案し、店の成功に貢献しました。山親爺は、彼の誇りとなる菓子で、大正時代に自身の著書に製法を記述し、製品化されました。
当時、牛乳や鶏卵、バターを使ったお菓子は斬新で、バターを使っていることは消費者には秘密にされていました。初期は苦戦しましたが、山親爺の成功により千秋庵は復活しました。
その後、千秋庵が北海道内に広まり、山親爺の製法が伝えられ、今では函館の千秋庵総本家と札幌の札幌千秋庵製菓が製造・販売しています。味の改良はあったものの、製法は今も変わらないそうです。
特徴
「山親爺」は北海道の熊(ヒグマ)を指す俗称で、この名前の菓子には独自のデザインがあります。菓子の表面には、ヒグマがスキーを履き、サケを背負っている絵柄が描かれています。このデザインは、アイヌの民話に由来しています。それによれば、ヒグマが川でサケを捕まえ、ササの枝に通して持ち運ぶが、サケを結ぶ知恵がないため、歩いているうちにサケを落としてしまうという物語です。この絵柄は、山親爺の特徴的なデザインの一部で、煎餅は直径約10センチメートルの大きさで、雪駄または雪の結晶を模しています。
山親爺の特徴的な味わいは、新鮮な北海道産バター、牛乳、鶏卵を豊富に使用していることに起因しています。この煎餅には水は一切加えられておらず、その代わりにバターと牛乳の風味が際立ちます。この菓子は甘美で、軽い歯ざわりがあり、クッキーに似た材料を使用しています。発売当初はバターやミルクを使ったクッキーが普及し始めた時期で、形状が煎餅に似ていたため、創業者は和洋折衷のアイデアで「洋風煎餅」と名付けたとされています。
かつて札幌千秋庵の山親爺には、丸缶に詩文が記された栞や、クマのマスコット人形が同梱されていましたが、2023年時点ではこのマスコットの同梱は終了しています。